定義如来・平貞能と平家落人の里 定義さん、その参詣の定義道とは・・・ 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 |
平家の落人は全国に渡って秘境のと呼ばれる地に散在していることが見てとれます。 飛騨高山や合掌造りで有名な白川郷や越中五箇山も同じく落人伝説を持つ部落です。 また、岩手の山間部にも京言葉を使う部落があるようです。確か東岩井郡だったと思います。 栃木県の鬼怒川・川治温泉から山間に入ると湯西川温泉がありここもまた平家落人伝説を持つ秘境の地 なのです。 追っ手から身を隠すため犬や鶏を飼う事は無かったとも聞きます。 また、幟等も立てれば目立ちますから、その習慣も無く鯉幟を上げることも無かったようです。 だからと言ってただ隠れていただけでもありません、宮城には攻めることを想定して前線基地を設け、 その守りや攻撃の準備をしていた場所が地名として残っている場所もあります。 しかし、落人の悲しい宿命は平家物語を通じ、涙なくしては読み取ることもできないでしょう。 その戦いは屋島の合戦にせよ壇ノ浦ににせよ華々しい場面は勇ましいですが、都を落ちゆく平家の公達や 武士の姿は悲しく 婦女子も面影は哀れであったに違いありません・・・・ 人とは、弱気ものです。 逃れ惑う平家の人々の中に今回紹介する、平貞能(たいらのさだよし)の一団もあったのです。 厳しい山間の中で生活しなければならなかった彼らの生活と歴史を探ってみました。
皮肉にもここには大倉ダムと七北田ダムがあり、水を市民や近隣の町へ供給しています。 |
黒のペンで小倉神社と書いていますが、以前紹介済みの、平家に関わる神社です。 小倉神社 今では、「定義さん」や「定義如来」と呼ばれ、一般の人々に広く信仰され、年間百数十万の参詣者を数えています。 昔から「一生に一度の大願は必ず叶えてくれる」と信じられ良く知られています。 我が家でも安産祈願をしたものです。 定義如来に関するブログの記事 |
定義如来 平貞能 平家の落人の里 大倉とは 大倉の地 仙台藩の領地になるまでは、この部落の人々は平氏を偲び他の部落との縁組を許さず。 純血を守ることに平氏の誇りを感じていたのです明治初年にあたりにこんなことがあったそうです。 村芝居が行われていた頃定義に舞台を一の谷合戦記を上演した時、あちこちから物が投げられて遂に 中止させられたり上演中舞台が急に倒壊したこともあったといいます。 それ以来定義では芝居の上演は止めたそうです。 さて、この地を一般的に大倉と言いますが、厳密には大倉部落があります。 伝説には、鎌倉源氏の子孫大倉蔵人重義を始祖とする大倉家が故あって遠く陸奥の地に逃れこの地大倉の山里に 隠棲したとあり、平家落人と「お互い仲良くしよう」と申し合わせたという語り伝えが残っています。 また、定義如来入り口(国道48号線)の近く作並方面に行くと新川(にっかわ)というところがあります。 そこには、源氏の勇将源義経の奥州下りの道中たまたま平家落人平貞能と出会い、敵味方なく睦まじく夜を明かしたと 言う伝説の「ほととぎす塚」があると言う。 また、時代は下って戊辰の役、義勇軍(からす組)隊長仙台藩細谷十太夫や奥州鎮撫の参謀、長州藩の世良修蔵を斬殺した志士が 厳しい追及に一時隠れ住んだのが天狗茶屋とか・・・・定義温泉とも伝えられています。 ぢゃう義道 定義の里に通じる道には、白木部落、矢籠、青下、大倉とありどの道も山道で峠や峰を通っている。 定義の里と合わせて五部落がこの道で結ばれていて密接な連絡がとれていた。 これは、防備の為に五人の従臣を配置し前線基地として固めたものと思われます。 「左ぢゃう義道」とかかれた道標があります
この石碑は安政四年の物のようです しかし、この石は昔は、北谷地から白木部落にあったもののようです。確かにこの分岐の左は旧街道ですが、崖崩れが多く今は不通です。 それは、さておき、先人達はこの道を歩いていたのでしょう。 かつては古街道としダムを横断した岩出山街道または、秀衡街道と呼ばれていた古い道があったのです。 伊達家が岩出山に居城していた頃は、山形方面への軍道としての最短通路で通行人も多かったと聞きます。 また、奥州藤原の平泉文化が最上へ流入した道としても考えられているようです。 これらのダムをおうだんした道はダムの水底になってしまいました。 水没した村は栗生部落20軒、日向部落が40軒で合計60軒でした。
大倉ダム ダムに水没したものには天狗橋と天狗茶屋があります。この天狗茶屋は古くから親しまれて来た店で、 創業300年の文字が・・・・・ 今は、車社会となりここは通過地点となり衰退していったようです。 私は、以前から気になっていた仙台から定義如来までの徒歩での参詣ルートを行って見ました。 今回の参考資料にしました「秘境、定義谷」著者・西村勇、発行:楽山西方寺の本の中にこんな唄がありました。 「定義如来参詣道中唄」です。 明治初年の頃の唄のようです。 ♪時は旧七月六日のことよ、定義詣りと二人連れ 八幡町を後にして落ち合茶屋にて腰をかけ これこれ花ちゃんこれから定義に幾里ある そこで花ちゃんの申すには、定義様まで五里と半 それでは花ちゃん”さようなら”竹は無くても大竹よ 急げば早くも 二本松赤坂小阪もひと登り 青の木茶屋でひと休み、日も西山に傾いた 八枚たんぼを下に見て 昼もさびしい夜盗沢 新道隧道通り抜け、見上げて見えるは高柵よ 大倉日向の切払い天狗橋より天狗茶屋 小田や石 子や石名窪、とぜんで通るは山ぎわよ 海老沼、曲戸に栗生坂、地蔵菩薩を伏し拝み 年は古いが若林、千本杉とは此処なるか 夏も涼しいひゃっこ沢、何時もどんどと滝ノ上 はや高森に登りけり小手をかざして眺むれば 矢籠部落に大原よ、うしろは獅子込みおうとどよ 地蔵平の賽の河原、一の鳥居は高見沢 定義の里に着きにけり五三のキザハシ登りつめ 二人で揃うて手を合わせ、これこれ申し如来様 この縁結んで賜れと二度も三度も伏し拝む アリヤラン コレハノセイ ササヤレ サンノセイ 八幡町を後にして 竹は無くても大竹よ
急げば早くも二本松 赤坂小坂もひと登り
青野木茶屋で一休み 昼も寂しい夜盗沢
八枚田んぼを下に見て
新天狗橋 橋から見た渓谷 ダムの堰堤が見えます。
橋を渡ると以前に紹介した小倉神社にでます。 この辺りを下倉地区といいます。
「新道隧道通り抜け」とありますが、近年隧道はふさがり新しい道が出来ました。
大倉日向の切払いですが、こんなバス停がありました。
揚羽蝶・・・・・平家の家紋です。
滝の上 ここは、前に紹介した、ぢゃうぎ道の石碑があった所です。
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