あらはばき アラハバキ 荒脛巾 とは・・・・ 大元の神とは・・・ あらはばきの原点を探る

                            

                                       アラハバキとは

宮城県多賀城市にある荒脛巾神社を見たのが興味を持った原点になります。   

この記事をブログに書いたのは、2008年になりますが、その後岩出山の荒脛巾神社を訪れ、アラハバキを調べるには、

もっと古代を学ばねばと思った。 その後、関係書籍の中から抜粋しながら直接現地を訪れて古代の人々への想いを膨らませてきた。 

武光 誠 著 「古代日本」誕生の謎には、荒脛巾神についてこのように記されています。
ヤマト政権が勢力を確立し東北への支配を進めて来ても、縄文時代特有の精霊崇拝の伝統は消えることが無かった。
日本各地に根強く残った、縄文的な神々は、やがて神社で祭られるようになり、その多くは国司の指導で平安時代までには、

 元の名前を失い、日本神話に登場す る神へと置き換えられていった。 

(つまり、主祭神を含む境内社(摂社・末社)の事ですね。) しかし、現在でも日本神話に無い神を祭る神社がある。
そのような場所にはヤマト政権の支配を受け入れない勢力があったに違いない。(つまり、まつろわない民ですね。)
 最も広く分布する縄文的神を「あらはばき神」という。

 縄文から続く最高神アラハバキの信仰も「記紀」の影響や仏教による変容で、すっかり影をひそめ江戸時代には、何神であるかは不明になってしまった。
わずかに古代氏族が王権の抹殺をのがれるために密かに今日までその伝統を守り続けた。
かろうじて文献のみその名をとどめるか、あるいは、末社で密かに生きつづけるのにすぎない。
神社や寺院にはアラハバキの名こそ消えてしまったが、稲作と同時に製鉄の始まりであるからアラハバキ神は製鉄とも 密接な関係があることを無視できない草鞋、鉄製下駄を供えたり、目の神様や足の神様になっていたり、習俗から見て元の神が変容していることを示す、例それから、多くの本殿や本堂ではなく、末社・摂社に追いやられているので 小さな祠には注意したい。

弥生の初期に渡来した部族とありますが、これだけがすべてとは思いません。 
古代崇拝していた縄文文化の神と結合したとも考えられます。  


古代から信仰していた神がアラハバキがある。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神もあり、未だに正体は解明されていない。
亀ヶ岡遺跡(青森)大湯ストーンサークル(秋田鹿角)からは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。
それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイトの土器と非常に似ている。

ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行った古代帝国である。
ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。
ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた。
アラジャ・ホユックのハバルキが転じてアラハバキになったのではないか? という説もある。

土器の類似性から相当古い時代に竜を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。 

この民族は出雲神族ではないのかと考えることが出来る。 
それはクナトの大神にある

  クナトの大神

「日本書紀」では「岐神」、「古事記」では「衝立船渡神」出雲井神社には「久那斗大神」として祀られている。

「我々の大先祖は「クナト(岐神」)の大首長だがもう一つの女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、 体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナトは「地蔵」に「アラハバキ」は「弁才天」へと変身した。 

上記についてはこのぺーじに記載しています。   「明かされた古代出雲の秘密」


アイヌ語で「クナト」は男根、「アラハバキ」は女陰の意味で本来、一対のものだと言われる。
これは、倶知安のアイヌの酋長菊池俊一夫妻の話。

クナトノ大神は、幸の神、寒の神、道祖神、道陸神(どうろくじん)とも呼ばれている。
久那斗神社で検索すると一件だけ岩手県北上市和賀町の山に存在する。
近い内に行きたいと思っています。 やはり、道に関係するようです。
 上記に記載した通り、一対のものである。とするのも要因の一つですが、時代的にも律令国家が出来る以前の話であることや、

アラハバキは鉄の神様と言われることもある。
出雲大社の御神体は釜であり、鉄に関わる。

幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」
真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。 
 出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。
その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。 草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバリキの剣と言う」
「ハバリキの剣」 阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」
「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。
 アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。
 我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。
それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。
                                        (「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)



「アラハバキ」を追及していくと共通する神の存在が見えてくる。
それは「瀬織津姫」です一般的に同神だとも云われています。
 


アイヌを語ると、関連して蝦夷が出てきますが、アイヌ=蝦夷では無いと考えるべきです。
アイヌ語については、岩手県に多く見られますが、日本全国にあると言えます。ここでは割愛します。
また最近では「アイノ」と発音した方が近いとも言われています。
アイヌについては「北方世界に生きた人々」 「アイヌ語地名解/岩手とアイヌと平泉文化」 「あなたの先祖は何系」 などの記事も書いております。

大和民族(通常)の場合は、縄文から弥生に移りかわりますが、アイヌ民族の文化は縄文文化から引き続いた続縄文文化擦文時代から

形成されてきたものです。
現日本人の一つであることは間違いないでしょう。
  蝦夷とは何か???

「アラハバキ」で一番厄介なのは「東日流外三郡誌」です。これは学者の中で偽書と認められています。 

信じたい人は、このHPに「東日流外三郡誌の正体」としてUPしておりますので熟読してください。

青森県五所川原市には荒吐神を祭る「洗磯崎神社」がある。  それは安東氏の祖神とされるものだ。(これは偽書東日流外三郡誌の影響かも?)
安東氏は中世に活躍した東北地方((日本海側、陸奥国津軽から出羽国秋田の一帯を支配していた。
蝦夷の流れをひく最後の勢力だった。

埼玉県、にある氷川神社は武蔵一宮として平安時代一国の中で最も重んじられた神社だが、元は荒脛巾神を祭っていたと考えられる。
そこには、江戸時代末の天保年間まで「荒波々幾社」という摂社があった。
現在の氷川神社は素戔鳴尊・奇稲田姫を祭る。
元の神を摂社に落として日本神話の中の神を祭れという朝廷の指導でそうなったのだ。
最初から、素戔鳴尊等を奉祀するものであったのならば後から日本神話に見えない荒脛巾神を摂社にする理由はない。
武蔵国に氷川神社が222社あることを考えると古代の武蔵国では荒脛巾神が盛んに信仰されたことが伺える。
  氷川神社については、下記にリンクしてあります。

東京都あきる野市にある二宮神社の末社に「荒波々伎神社」
神奈川県厚木市の小野神社末社「阿羅波婆枳神社」このように調べていくと荒脛巾神社の分布は出雲にまで及ぶ。

脛とはすねをさす。つまり「荒脛巾」は足早に移動する有様を表す語だ。
荒脛巾とは、急速に変化する自然をつかさどる神だ。
古代の文献に見える「長髄彦:ナガスネヒコ」・「七拳脛:ナナツカハギ」・「八掬脛:ヤツカハギ」といった人名も荒脛巾神の 能力を負う者を表す。

「長髄彦」は「日本書紀」や安東氏の系図にも登場する。
「熱田太神宮縁起」は七拳脛を「駿速をもって駈ける」人という。
 上記の「脛」については若干異論がある。アラハバキはすべてこの字を使っているわけではない。

漢字が使用される以前の言葉ですから当て字に近いものがあります。漢字から解釈するとこじつけ的な考えになりがちです。

長野県諏訪市の手長神社、足長神社があり、そこの神は、諏訪明神の家来の手長、足長の巨人だと伝えられるが、
荒脛巾神と同系統の神であったと思われる。
手長足長の神を祭る神社は、福島県新地「手長明神」など幾例か見られる。

「釈日本紀」が引く「越後国風土記」に次の記事がある。
「美麻紀の天皇(崇神)の御世、越の国に人あり、八掬脛の長さは八掬、力多く太(はなは)だ強し。 是は土雲の後なり」

「日本書紀」等は、ヤマト政権に反抗した異文化の持ち主を土蜘蛛(土雲)、国栖(クズ)等と表記している。武伝説の中に土蜘蛛の姿を伝える文章がある。
「其の為人(ひととなり)身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)〈小人〉相類(あいに)たり。
これは事実ではあるまい。 ヤマト政権が手長、足長の荒脛巾のような神を祭る者を蔑んでこのように記したのであろう。

あらはばきの表記は、かなり多いようです。
荒覇吐、荒吐、荒羽祗、阿良波々岐、荒脛巾、、荒掃除、新波々木、阿羅波婆枳、荒羽々気、麁脛バキ、阿羅波比・・・等々

点在してる分布は、「客人」という表記を含めると
陸奥、出羽、常陸、武蔵(多数)、房総(2)、相模(2)、甲斐(2)、越後(2)、参河(1)、伊豆(1)、伊勢(3)、 丹波(1)、摂津(1)、

伯耆(1)、出雲(多数)、隠岐(9)、安芸(6)、備後(1)、周防(6)、長門(1)、伊予(多数)、土佐(2)、肥前(1)、壱岐(1)のようです。


※古代先住民の祖神、守護神として祀ったもので、ある文献によると、東北、関東の地に600余社を数えたといいます。


アラハバキ神社はどんなところに見られるのでしょう

【青森県】 
津軽地方は平安になるまで中央の大和朝廷の勢力が及びませんでしたから、かなり残っているはずですが、 あまり発見されていない。

青森市松森=麁脛縢明神社(あらはばきみょうじんしゃ) 現在、松尾神社
五所川原市=中山山地の中山修験の霊場・・・かつては古修験の聖地、仏教による変化とともに
名前は消えたが、恐山のイタコの信仰とともに最も古い信仰であり、アラハバキと推測
津軽の荒磯神社・洗磯神社・磯崎神社はかつて荒脛巾神社であった。 洗磯崎神社

【岩手県】 アラハバキを祀る「丹内山神社」 

【宮城県】 
岩出山の荒脛社【旧、荒鎺(はばき)権現社】(「封内風土記」所載)
多賀城の荒脛巾神社(旧、阿良波々岐明神社)

【秋田県】 
横手市雄物川町大沢字上法寺37 金峰神社・・・阿良波々岐権現社(「出羽国風土記略記」所載)
仙北郡美郷町・・・荒羽袛神社
横手市平鹿町醍醐字薊谷地74 客殿神社/横手市 祭神に豊受姫神があり、通称観音様。

 はっきりしていないが門客人の部類かもしれない?

この住所にアラハバキが祀られているという資料があった。        

【山形県】 
古修験の信仰から出羽三山も可能性がある。 出羽三山神社/羽黒山その1 記事があるのでリンクしておきます。

【福島県】 
会津若松市湊町赤井・・・荒脛巾神社
田村郡三春町・・・・・・田村大元神社
会津若松市北町・・・荒鎺神社

【千葉県】 
市原郡姉ヶ崎町の式内社・姉崎神社・末社に新波々木社がある
船橋市・・大神宮、古くは音富比(オオヒ=大火か?)神宮と呼ばれていた。
その社家は最近まで木更津の富の家筋で、九十九代の系譜があるという。
富氏との関係があるという。 富氏については、古代出雲帝国の秘密明かされた出雲王国を読んでいただきたい。

【神奈川】 
横浜市戸塚区公田町に通称「アラハバキ」と呼ばれる地名があり、高さ80センチほどの石の祠は「アラハバキさま」という。
厚木市小野の式内社・小野神社末社に阿羅破婆枳神社がある。

「新編相模国風土記稿」によれば「阿羅破婆枳、春日の二社を相殿とす」とあるのでかつては本殿にあったもの。

【埼玉県】 
氷川神社が沢山あります。その末社が荒脛巾神社又は荒脛社・荒脛巾明神といわれています。
上尾市菅谷(旧、足立郡菅谷村)氷川神社の末社
上尾市戸崎
上尾市今泉
大宮市高鼻町(式内社の名神大社・氷川神社摂社に門客人社がある。
    「江戸名所図会」には荒波々幾社として載せているので天保の頃まではアラハバキを称していた。
隠されたアラハバキ神の謎/氷川神社編
大宮市中鉢:氷川神社の末社が荒脛社
大宮市島根:氷川神社の末社が荒脛社  
大宮市日進町:氷川神社の末社が荒脛社   
大宮市中川:氷川神社の末社が荒脛社
大宮市宮前:氷川神社の末社が荒脛社
大宮市内野本郷:氷川神社の末社が荒脛社
大宮市櫛引町:氷川神社の末社が荒脛社
伊奈町小針内宿:氷川神社の末社が荒脛社
吹上町:氷川神社の末社が稲荷・門客人・諏訪の合社。
浦和市西堀::氷川神社の末社が荒脛社(東隣は製鉄に関する別所がある)
浦和市田島:氷川神社の末社が荒脛社
浦和市白鍬:氷川神社の末社が荒脛社
浦和市内谷二丁目:氷川神社の末社が荒脛社
桶川市小針領家:氷川神社の末社が荒脛社
川口市芝:羽盡(はぞろひ)【羽曽呂ともいう】の末社に荒波々喜社がある。
近くには須賀の地名(製鉄に関わる地名)
川口市戸塚:氷川・熊野峯岳明神合の末社が荒脛巾だった。
川越市古谷本郷:八幡神社の末社は荒脛明神他二十一社の合殿。 川越氷川神社「子の権現社」はアラハバキ
坂戸町塚越:住吉神社に末社に荒掃除神が祀られていた。
所沢市三ヶ島:中氷川神社(旧、名が宮明神)末社に荒脛社がある。
     

【東京都】 江戸城に荒脛巾祠堂があり、大田道観が城神として信仰、のち大元明神に改称している。
五日市町養沢の門客人明神社「新編武蔵風土記稿」にアラハバキ」と片仮名で訓みをつけている。
秋川市二宮・・二宮神社末社は、荒脛社である
奥多摩町氷川:奥氷川神社は背後の愛宕山の頂上に祀られた阿羅波岐社だった。
福生市熊川:熊川神社(旧、礼拝大明神〔ぬかだいみょうじん〕)の末社は荒脛社
多摩市一ノ宮:小野神社には随身像が二体ある。随身はアラハバキ神の門客人化したもの
湯島天神の前に大元堂がある。
葛飾区四ツ木:白髭神社はかつて客人大権現と称し、境内社の大鳥神社には大小十数基の石碑に「客人大権現」と刻まれている。 
       

【山梨県】 
上都留郡下和井村の百歳山春日神社には地蔵尊の立像アラハバキ二体がある。

【静岡県】 
伊豆の三島大社はかつて荒脛社だった。

【愛知県】 
宝飯郡一宮町の式内社・砥鹿神社(とがじんじゃ)はかつて4キロほど北にある本宮山(刀鹿の峰)の頂上にあった。
現在奥宮として残っておりその末社に荒羽々気神社がある。(祭神は大己貴命荒御魂)
新城市大宮の石座神社(いわくらじんじゃ)の末社に荒波婆岐社(御祭神:豊石窓命/奇石窓命=天石門別神)がある。
新城市杉山の竹生神社の境内社に荒羽々気神社がある。

【新潟県】
越後の一宮といえば弥彦神社、その記録によれば神社の一角に「アラハバキ門」がある。

【京都府】 
丹後の籠神社の祭神が大元尊神である。

【広島県】 
安芸の宮島で知られる厳島神社の地主神は、土地では「おおもとさま」と呼んでいる。

【鳥取県】 
東伯町保に大元神社(八幡さま)がある。(神社名鑑)

【島根県】 
出雲大社の境内末社に門神社二社があり、出雲大社資料館の彰古館には寛政8年(1668)作成の
古社図が展示してあり、門客人社と記載されている。

八束郡千酌の爾佐神社の境外社・荒神社は、通称「お客さん」とか「まろとさん」と言われ、「アラハバキさん」と呼ばれていました。
太田市大森町(旧、邇摩郡大森町字佐摩)の城上神社境内社が大元神社である。 (神社名鑑)
太田市祖式町(旧、邑智郡祖式村祖式)の八幡宮境内社が大元神社である。(神社名鑑)
那珂郡弥栄村木郡賀(旧、杵束村木都賀)の八幡宮境内社が大元神社である。(神社名鑑)など他に11社ある。

【岡山県】 
新見市石蟹に大本神社がある。(神社名鑑)

【愛媛県】 
八幡市浜若山に大元神社がある。 (神社名鑑)
北宇和郡広見町内深田に大本神社がある(神社名鑑)
【高知県】 
安芸市赤野に大元神社(旧、大本社・大本明神で大元神を祀っていた) (神社名鑑)
 
【壱  岐】 
壱岐郡郷ノ浦町渡良の物部布都神社は社記には阿良波加大明神とある。(壱岐国誌)
ここには、氏神のアラハカ様に入って漂着したという物部氏の降臨伝承がある。

【大分県】 
宇佐市の宇佐八幡の奥宮は大元山(御許山)の頂上にあり、大元神社という。

     大元神楽舞・大元神楽式の神事がある神社    

大元神楽は石見神楽とも言われる。出雲の佐陀大社(島根県ハ束郡鹿島町)の神楽をその中心として、出雲全部にあまねく普及し山陰、山陽方面のも広く分布するようになった。

【島根県】
江津市の高倉山八幡宮 (神社名鑑)
邑智郡石見町の賀茂神社(神社名鑑)
邑智郡石見町の大原神社(神社名鑑)
邑智郡石見町の諏訪神社(神社名鑑)
邑智郡桜江町の八幡宮=郡鳩八幡宮(神社名鑑)
邑智郡川本町の三原八幡宮(神社名鑑)
邑智郡瑞穂町の八幡神社(神社名鑑)
那珂郡旭町の市木神社=旧、馬場八幡(神社名鑑)
邇摩郡温泉津町の八幡宮(神社名鑑)

地名・寺院に残るアラハバキ
「和名妙」にはアラハバキの元の発音に近いと思われる、「アラハカ」の郷名が出ている。
武蔵国豊島郡荒墓
越前国坂井郡荒都泊郷
常陸国那珂郡荒墓郷

難波四天王の旧地名は荒墓邑といい、四天王の山号は現在でも「荒陵山」(訓読みするとアラハカ)である。
鳥羽市小浜町区内の二見ケ浦沖合にある「飛島」は古くは「阿波良岐島」「淡良岐島」といっていた。

        

                         

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